「生きがい」を大切に 認知症研究の第一人者、朝田隆先生
一般社団法人MCIリング代表理事を務める朝田隆さんは認知症研究の第一人者です。高齢者のやる気を促す褒めることに注目し「これからの高齢者ケアに『生きがい』という視点を大切にしたい」と語っています。
認知症治療に携わったきっかけをお話しください。
私は東京医科歯科大学を卒業して精神科医になった40年近く前、アルツハイマー病や認知症の研究を始めました。認知症の学会もMRI(磁気共鳴画像診断装置)もない時代でした。
オックスフォード大学(英国)老年科に留学して、フレイル(加齢による心身のおとろえ)や老年学を幅広く勉強しました。糖尿病は? 血圧は? 食事をちゃんと食べたか? 多角的な視点から診察することを学びました。1990年ごろ、「認知症はなぜ、転倒するのか」をテーマに英語の論文を発表しています。オックスフォード大学の恩師がその分野の専門家だったからです。ほかの専門家とは少し異なるバックグランドがあるのかもしれません。
印象に残る患者さんとのエピソードを教えてください。
最近出版した編著書「ポストコロナ時代の高齢者ケア~2025地域包括ケア転換期に立って」(第一法規)に、「生きがいという言葉に注目したい」と書きました。「生きがい」という表現は日本語にしかありません。生きがいには3段階あると考えます。
よくある第1段階の「生きがい」は、心を明るくする楽しみです。孫の成長を喜ぶとか、趣味を楽しむことが当てはまるでしょう。
第2段階の「生きがい」は、生きる充実感や人生の張りの源を意味します。私の知人の医学者ピーター・ホワイトハウスは「生きがい」を「satisfaction out of life(人生の収穫の喜び)」と解釈しました。引退した国語教員がかつての教え子たちから毎年、同窓会に呼ばれて旧交を温める。農林試験場で働いた専門家が定年後もトマトづくりを極める。自宅の畑で栽培したおいしいトマトを知人に送って喜ばれると、やりがいを感じる。精魂を込めた対象に今も向き合う状態でしょう。
すごいと思うのが、第3段階の「生きがい」です。ターミナルケア(終末期)のがん患者となって余命わずかと宣言された元学者です。
「先生、俺のことを気の毒がっとるだろう」「でも、あんたが思うほど心配していないよ」と話すのです。理由はふたつあります。
理由のひとつめ。「先に逝った両親や知人にあの世でまた会える。それなら死ぬのもよし」
もっとすごいのは理由のふたつめです。「生きる者の役割は、遺伝子のたすき掛けリレーだ。子どもも孫もいるので自分の遺伝子は残した。俺が死んでも俺の遺伝子は生きている。そう考えると、まんざらでもない」
瀬戸内海の島でハンセン病患者を支えた精神科医の神谷美恵子(かみや・みえこ)が発表した「生きがいについて」にも、死生観にも通じる現代的なテーマといえます。
ほかにも、よかったと思う経験談はありますか。
患者さんの反応は、玉石混交です。感謝されることもあれば、「先生が言うとおりにしてもよくならない」という逆の反応もあります。
苦い経験があります。患者さんから「私を褒めてくれない」と指摘されたことが応えました。「運動、ちゃんとがんばったね」と評価してくれないと。あら探しばかりだから医者には行きたくないと。
それから、しっかり取り組む患者さんを褒めようと心掛けています。褒めること、尊重することは、生きがいを育み促すことにもつながります。
「褒める」という発想には、たどりつきにくいと思いますが。
褒めることは、私の最近の思想の礎といえます。
知り合いの社会心理学者が面白いことを言っています。記憶が悪くなるのは、認知症のせいと考えがちです。しかし、記憶、注意力、言語能力も、社会論を構成する要素に過ぎないという立場です。もの忘れがあっても、首尾よく生きていけたらそれでいいというわけです。社会の中でうまくやっていく知恵があれば、生きていける。つまり、認知症を考える上でも、社会論が大事という考え方に行きつきました。
今後、どのような展開を想定されますか。
地域を挙げて健康づくりに取り組むと、大きな変化が生まれます。かつて介護保険の受給率がよくない市町村で健康づくりを応援したことがあります。多くの住民が行動に参加して、健康づくりの意識を変えて地域のムーブメントに定着すると、大きな行動変容につながります。MCIリングがそのための役割を果たせるように努めていきます。
(つづく)
朝田隆(あさだ・たかし) 東京医科歯科大学卒業、精神科医、一般社団法人MCIリング代表理事、筑波大学名誉教授、東京医科歯科大学客員教授、医療法人社団創知会理事長、メモリークリニックお茶の水院長。 |
執筆:おれんじねっと記者 中尾 卓司